原子核理論 2007年度 紹介パンフ


原子核理論グループの現在の構成は、松井哲男(教授)、藤井宏次(助教)の2名の 教員と院生8名(DC4名、MC4名)からなり、セミナー、文献会、勉強会等の グループ活動を一緒に行っている。

原子核は、我々の周りに唯一安定に存在する核子の自己束縛系であり、現在知 られている四つの相互作用のうちの三つ(強い相互作用、弱い相互作用、電磁 相互作用)がその構造や運動に直接関わっている点でも、ユニークな研究対象 である。また、約$10^{57}$個の核子の重力束縛系である中性子星も「巨大な 原子核」として核理論の研究対象になっている。

最近の研究の重要な流れは、従来の核子の量子多体系としての原子核の記述を さらに一歩深め、より基本的な自由度であるクォークとその従う力学である量 子色力学(QCD)から、核子や中間子のようなハドロンや原子核をクォーク多体 系として理解することである。クォークは通常の条件下では個々のハドロンの 中に「閉じ込め」られその自由度が直接関与する核現象は限られているが、高 密度・高温の極限状態ではその自由度が顕在化し、ハドロン物質からクォーク 物質への転移が起こることが予想される。そのような理論的予想を超高エネル ギー原子核衝突の実験で検証しようという試みが、欧米で始まっている。核理 論グループでは、現在、こうした新しい問題に焦点をあて、QCD素過程の 問題からクォーク・ハドロン多体系の物性論的問題まで、様々なアプローチで 研究を行っている。


松井哲男

高温・高密度のクォーク物質、その高エネルギー原子核衝突における生成と時 空発展、そのシグナルの研究を行っている。

現在、米国のブルックヘブン国立研究所(BNL)では、RHIC(Relativistic Heavy-Ion Collider)によって原子核を超相対論的エネルギー(核子当たり 100GeV)に加速して正面衝突させ、高温・高密度の物質をつくる実験が行わ れている。スイスにある欧州原子核研究機構(CERN)でも、今年完成する予定 のLHC(Large Hadron Collider)をつかった更に高いエネルギー(核子当たり 2TeV以上)での原子核衝突実験が計画されている。このような高エネルギーの 原子核衝突では、最初に反応に関与する自由度は核子やハドロンではなく、 その内部自由度(クォークやグルーオン)が直接関与し、原子核を構成する パートン集団が互いに通過した後、その背後にもたくさんのクォークや グルーオンがランダムに励起されてプラズマ状態になると考えられている。 クォーク・グルオンプラズマは高温の初期宇宙において存在していた原始物質 で、宇宙の膨張・冷却によってハドロンの集団へと進化したと考えられているが、 原子核衝突の場合にも、非常に短い時間にハドロンに崩壊すると予想される。 従って、クォーク・グルオンプラズマが実際できたことを検証する為にも、 その生成から崩壊までの時空発展の過程を理論的に理解することが重要な 研究課題である。この問題を、場の量子論から、(相対論的)流体力学、 運動論、統計力学等の様々な手法を用いて研究している。

最近では、カイラル相転移の非平衡量子場ダイナミクス、バリオン生成に おけるクォーク対相関の効果、ハンブリーブラウン-ツイス2粒子強度干渉 における平均場の効果など、プラズマのハドロン化とその後の凍結課程に 関係した問題を院生と一緒に研究している。これらは、RHICの実験で観測 された、ハドロンの強い異方的集団流や、バリオンの異常生成、 ハンブリーブラウン-ツイス干渉法によって観測されたπ中間子発生源の形状など の理論的解釈を目指した研究である。また、クォーク・グルオンプラズマ生成の シグナルとして注目されてきた$J/\psi$粒子の生成抑圧が、最近のRHICの実験の データ解析でも報告されているが、その系統的な理解にむけた研究や、プラズマ中 での制動輻射への多重散乱効果(ランダウ・ポメランチュク・ミグダル効果)の ボルツマン方程式の応用、アルカリ金属原子の希薄ボース・アインシュタイン 凝縮体(BEC)の問題とクォーク・グルオンプラズマの問題の共通性にも興味を もっている。

藤井宏次

量子色力学 QCD は低エネルギーで強結合性を持ち、 クォーク・グルオンという``基本粒子''から陽子・中性子という 多体系を構築する非摂動的なダイナミクスの解明は重要かつ難解な 基本課題として立ちはだかっている。

  • 有限温度やバリオン数密度などを外部環境変数にした QCD 熱力学系の性質を、QCDの特徴を捉えた模型で 考察すること、特に臨界点近傍のソフトモードの性質
  • クォーク・グルオン プラズマ(QGP)状態生成を意図した 超高エネルギー原子核衝突実験を睨んで、QGP生成シグナルに 関連した問題
  • 超高エネルギーハドロン反応過程、特に入射ハドロン(原子核)の 波動関数の理論的な記述
などである。 基礎となる理論的道具や概念は、有効模型や摂動論、有限温度密度ゲージ理論、 格子QCD、非平衡統計力学など等多岐にわたる。 学問的基礎知識のグレードアップや最近の研究動向のアップデートを狙って、 院生との共同の勉強会を適宜開催したい。

駒場の原子核理論研究室は、日本の核多体問題研究の先駆者であった故野上茂吉郎 先生以来の伝統ある研究室で、この分野で多くのすぐれた研究者を世に出して きた。研究対象や手法は大きく変化してきているが、学生と教員の自由闊達な 研究室活動から新しい原子核研究をリードする若手研究者が更に多く育って ほしいと願っている。